エヴァを愛するエヴァ特化ブロガーです。
エヴァンゲリオンシリーズは、絵画のように、見る人によって捉え方、感じ方が異なりますが、自分なりに、一貫した論理に基づき、全ての謎の解明を目指しています。
考察パクリはやめて下さい。引用、リンクをお願いします。
【考察コンセプト】
1 考察の結論を示す。
単に劇中描写をなぞっただけのストーリー解説は、見ていただいた方にとって何のヒントにもなりません。長文を読まされただけで「だから何?」とならないよう、自分なりの結論を示します。
2 論拠を示す。
劇中描写や論拠に基づかないで結論を示すことはしません。単なる妄想に付き合わせてしまうことになるからです。
3 考察間で論理矛盾しない。
例えば、ある考察ではマーク6がアダムだとする一方、別の考察では月面の巨人はアダムスだと結論付けるようなことはしません。各考察間で論理が一貫するように心がけています。
コメント
弐号機などの素体がアダムスのコピーだと言ってましたがそれではアダムスのコピーはATフィールドを展開できないという説に矛盾してないですか?
貴重なご指摘ありがとうございます。
再考察してみます。
月面の巨人が6体目のアダムスという説明,興味深く読ませていただきました.もっとも,この巨人については「6号機蘇生現場」(破全集)だったり,「墓を暴くよう」(序全集脚本)だったり,巨人が亡骸であることを示唆する資料があります.この点はどのような説明になるのでしょうか.何か考えがあれば教えていただけると助かります.
コメントありがとうございます。
考えたことがありませんでしたが、考察してみます。
すごく興味深くて、作品を見直すたびに読みに来ています。
シンエヴァのラストでの駅のシーン、子どもたちの中でエヴァの呪縛から解き放たれたのがシンジ・マリの2人だけだったのは、2人だけがユイからの救済を受けたからだったのでしょうか。
カヲル、レイはそのままの姿でエヴァ世界そのものとしてスッキリしているのですが、アスカは前のシーンで大人になった姿も見せていて、過去にとらわれたままになっていることにシックリきていません。
アスカはユイの願いを叶えるための道具でしかなかったのかなと…
コメントありがとうございます。
シンエヴァラストシーンについて、私は、シンジとマリだけが救済されたというよりも、シンジとマリを通じて、監督や制作スタッフ達がエヴァ世界から脱却した(エヴァの物語を終わらせた)ことを表現したのだと考えています。
反対側ホームにいたカヲル、レイ、アスカは皆ネオンジェネシス前(補完前、救済前)の姿でしたので、3人はエヴァ世界を表現していたのだと思っています。
3人は、エヴァ世界の中ではちゃんと救済されていると捉えています。
ありがとうございました。